スワミジとの出会い

文化人類学を専攻した大学を卒業してから数年たって、「インドの聖地巡礼のツアー」で再びインドを訪れました。

当時、師事していたヨガの先生が同行するということで参加したのですが、

首都デリーで集合し、北インドの聖地(ハリドワール、リシケシ、ウッタルカシイ、ガンゴートリー、ゴウムク)を2週間ほどかけて巡りました。

日本、アメリカ、オランダからの参加者がおり個性豊かなメンバーが勢揃いです。

灼熱の中、でこぼこの道を長時間かけてのバス移動や、極寒の山でのテント泊などなど、なかなか過酷な旅でした。文化も違う国の人たちが過酷な旅を共にするので、いろんなハプニング続き。

途中、車酔いや、高山病、下痢、腹痛など、様々な症状が皆を苦しめることになるのですが、そのツアードクターとしてスワミジ(のちに私のヨガとアーユルヴェーダの師匠となる人)同行していたのです。

ちなみに、スワミ(swami)とは個人名ではなく、「一般的な世俗から離れ、修行をするヒンドゥー教の僧侶」のことを指します。それに、「ジ(ji)をつけることで丁寧になり、お坊さんといった感じになります。目上の人など、「〜さん」と丁寧に呼びたい時には名前のあとにジーとつけます。

インドにはたくさんのスワミがいるのですが、修行の方法は千差万別。

ヒマラヤの洞窟に篭り瞑想をしつづける人もいれば、

インド全土の聖地を托鉢しながら旅してまわる人もいます。

何年も片手を上げつづける人、

片足だけで立ち続ける苦行を行う人もいたりします

(ちなみに上げつづけた腕は痩せ細り、枝のようになります)。

神さまと一体になる方法として、1日中、大麻を吸っている人もいます。

本当に、驚くほどいろんなスワミがいるのです!

話がそれましたが、私の師匠のスワミジを最初に見た時の印象は、

身体に動きが軽やかで、まるで蝶々みたいな人だなぁということでした。

腰にオレンジ色の布切れを一枚まいて、オレンジ色のシャツを身につけ、小さな荷物ひとつで移動していました。わたしたちがスーツケースとバックパックを抱えているのと比較して、なんとまぁ荷物が少ないこと!(驚)

軽やかな身体で、重い荷物をひょいひょいと電車の棚に上げる様子は魔法がかかっているみたいでした(これはヨガの賜物で、身体の使い方を熟知しているからこそできることですね)。

旅がスタートしてすぐに、印象的な出来事がありました。

電車移動が終わり、駅でポーターが私たちの大きな荷物を運んでくれた後に料金を請求していたときのことです。

一緒に旅しているひとりが、不当な金額を要求されたと感じ、ポーターを目の前にしてとても怒っていました。ポーターも値下げしようとはしません。長距離移動の後で疲れているし、日差しも強いし、喉もカラカラだし、もうどうしようかーと思っていた頃にスワミジがひょっこりと現れました。

スワミジは、ためらいなく自分のカバンからお札をざっくり掴み出し、ひょいっとポーターに手渡して、一瞬で一件落着です。

「えっ?」

皆、呆気にとられました!

「こんな小さなお金のことで、時間を無駄にしてはもったいない。

それに、いつもよりお金がたくさん入ったら、ポーターの妻や子供達もハッピーでしょ?」

と言うのを聞き、わたしはお金の概念が一瞬で変わりました。時と場合により「お金で解決」は悪いことではないのだと思いました。そして自分の中に「お金のことで、だまされないように気をつけないと」という過剰な恐れや不安が、インドを旅する自分を芯から楽しめなくしているのに気づいたのでした。

のちにスワミジが、

“Travel with care, not with fear!” と教えてくれました。

「ケアー(注意)しながら旅をしてね!フィアー(恐れ)はいらないよ」といった感じでしょうか。英語で読むと、careとfearが韻を踏んでいて、とても軽やかで意義深い一言です。

この言葉のおかげで、ひとりでインドを旅する時も、心地よく自由な気持ちで過ごすことができました。何よりも、わたしの心が開き、とても素敵な出会いが生まれました。

このようにインドでは、自分の中の固定概念が変わるような出来事が何度も続き、その度に驚き、一旦、混乱し、また私の中で新しい概念が構築されました。

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